続・汝裁くなかれ

http://d.hatena.ne.jp/hoshikuzu/20040422 にて、hoshikuzuさんがコメントを追加されている中に、このセンテンスがありました。

町の人々が娼婦に対して「けがらわしい」という理由で皆で石つぶてをあびせている時にイエスが通りがかって言った言葉があります。おそらく田舎言葉のアラム語であったはずです。「おみゃぁさんたちのなかで罪がないもんだきゃぁこのオンナに石をぶつけてもいいだぎゃぁ。」私は無論、罪人(つみびと)なのです。。。。


これは先に挙げたマタイ伝及びルカ伝とは違う部分の有名なエピソードですね。せっかくなので、私自身のうろ覚えの知識にハタキをかけるつもりで原典資料を見てみました。

エスはオリーブの山へと赴かれた。

そして翌朝早く再び神殿に往かれると、人々ははこぞって彼のもとへとやって来たので、彼はその場に腰を下ろして彼らに教えを説かれた。

そこへ律法学者達とファリサイ派の人々が、姦通を見咎められ捕らえられた女を引き立てて現れ、彼女を人々の中心に据えた。

彼らはイエスに言った。「師よ、この女は姦通をしているまさにその場で捕らえられました。

モーゼはその戒律において、かのような者は石もて打つべしと定めています。あなたは何とおっしゃいますか」。

彼らはイエスを試し、告発せざるをえないように仕向けるためこう問うたのだ。

しかしイエスはしゃがんだまま、指で地面に何かを書き続けておられ、彼らの声に耳を貸されなかった。

それでも彼らが問い続けたので、イエスは身を起こし、彼らに言われた、「汝らの内で罪なき者が、最初にこの女性を石もて打つがいい」と。

そして再びしゃがみ込み、指で地面に何かを書き続けられた。

これを聞いた者たちは、彼ら自身の良心の咎めから、年かさのものから順に、一人また一人とその場を後にした。そしてイエスだけが残され、その前には女だけが立ち尽くしていた。

エスはその身を起こして、ただ一人残された女に言われた。「女よ、そなたを告発する者達はたちはどこへ行ったのか。そなたを罪によって咎めた者はいなかったのか。」

彼女は答えた、「主よ、私を咎めた者は誰一人いませんでした。」

エスは言われた、「私もまたあなたの罪を咎めることは出来ない。行きなさい。そして、もう不徳を繰り返さぬよう。」

新約聖書 ヨハネによる福音書 第8章1〜11節

Jesus went unto the mount of Olives. And early in the morning he came again into the temple, and all the people came unto him; and he sat down, and taught them. And the scribes and Pharisees brought unto him a woman taken in adultery; and when they had set her in the midst, They say unto him, Master, this woman was taken in adultery, in the very act. Now Moses in the law commanded us, that such should be stoned: but what sayest thou? This they said, tempting him, that they might have to accuse him. But Jesus stooped down, and with his finger wrote on the ground, as though he heard them not. So when they continued asking him, he lifted up himself, and said unto them, He that is without sin among you, let him first cast a stone at her. And again he stooped down, and wrote on the ground. And they which heard it, being convicted by their own conscience, went out one by one, beginning at the eldest, even unto the last: and Jesus was left alone, and the woman standing in the midst. When Jesus had lifted up himself, and saw none but the woman, he said unto her, Woman, where are those thine accusers? hath no man condemned thee? She said, No man, Lord. And Jesus said unto her, Neither do I condemn thee: go, and sin no more.


例によって粗雑なオレ訳で申し訳ない。
日本語訳でもっと優れたものがweb上にいくつも(しかも解釈付きが)あるのですが、自分で咀嚼したかったので英文からの自家訳としました。


己にやましいところのない人など居ない。人を罪に咎め裁く権利など、本人の良心以外にはありはしないのだと、キリストは言います。
それは、人の非を囂々とあげつらい自らの罪を省みることのない私のような人間への警句であり、寛容さを忘れてはならないと言う訴えだと受け取りました。
卑近なところでは、”ケダモノリンク”事件で、度を超した罪の追求がなかったか。かの人の行動への批判に寛容さを欠いた部分がなかったか。
また邦人人質事件で、被害者の自己責任を問う声は度を超したものではないか。彼らの行動の正当性を検証したり、今後の邦人の安全保障を考える意見は、バランス感覚を欠いて「女を石もて打つ」行為に傾いてはいないか。
私自身、もう一度省みたいと思います。


もちろん、このエピソードの解釈は人それぞれでしょうし、キリスト教としての”正解”も当然あるかと思います。
特に消極的無宗教(=特に確たる信仰は持っていない)であるところの私は、宗教的な解釈への理解度はほとんどありませんので、キリスト教聖典としてよりは哲学書として咀嚼しています。その点ご容赦ください。