ココログを読みふけって

ココログをあちこち読み歩き。
古河氏のBLOGを呼んでプチ感動したせいかちょっと色眼鏡付きかも知れないけど、ココログってはてなとは別の意味で豊かな(濃い?)コミュニケーションが成立しているみたいな気がする。
はてなのコミュニケーションを濃くしているのは、独特のシステムと割と長い試行錯誤を経ているコミュニティだと思う。もちろん、これは良い意味でも悪い意味でもだ。『教えてはてなダイアリー』みたいな優れたユーザ互助もあれば、互いの日記が簡単に結びつくせいで愚にもつかない論争が起きたりもする。
ココログのコミュニケーションを豊かに、つまりは他のBLOGと差別化しているものはなんだろうか。もちろん、ユーザでない身には分からないので使ってみないと確かなことは言えないのだけれど、個人的に思うところはある。
ほとんどがBLOGは無料でサービスを受けられるのに対してココログは有料である。(ココログに限った話ではないが、今のところ有料のみのBLOGサービスは少数派だろう。)これだけ無料BLOGサービスが使える中で、敢えて有料にしている理由。それは、自社のサービスに対する自負ではなかろうか。
Niftyは言うまでもないことだが、かつてパソコン通信時代PC-VANと天下を二分したNIFTY-SERVEである。そして、このいわば生え抜きといえるコンテンツプロバイダは、常にサービスの質で差別化を図り、『質の高い』ユーザを囲い込んできた。
もちろん、括弧書きで『質の高い』などと書く以上、含意は額面通りではない。
NIFTY-SERVE時代のユーザは、確かに質が高かったと思う。未だに当時のログを色々保存しているが、私が出入りしていたフォーラムやパティオだけでも、あの低速通信時代に良くもまぁこれだけ書きも書いたり読みも読んだりと呆れるほどの量があったし、内容も凝縮されていた。(もちろん、回線速度のせいもあって、凝縮せざるをえなかったのだけれど)しかし同時に、恐ろしく厳しいコミュニティ社会でもあった。ネチケット*1だけでなく、NIFTY-SERVEユーザの常識*2、フォーラムのローカルルールなど覚えるべき『御作法』が多かったし、その上に常連なら知っておくべき『暗黙の了解』なんかもかなり罷り通っていた。
こういった『御作法』が良くも悪くも『質の高い』ユーザを生んでいたのだと思うし、それが豊かなコミュニケーションを生んでいたと思う。
そういった、サービス側の自負とユーザ側の自負が、いまでもNiftyをして良質なコンテンツプロバイダたらしめている……ような気がしなくもない。
以上、「そんな昔話されてもな」という向きもあると思うし、自分でもそう思うので、極個人的な思いこみとして思いつくままに書いてみた。
まぁ、とりあえずお金払ってココログ使ってみろってことだ。>自分

*1:これも、かなり古い言葉だなぁ

*2:ファイル圧縮はlhaかISHを使うこと、とか