ラスト・サムライ 続

id:guldeen様より、先日書いたラスト・サムライの感想にコメント頂戴しました。ありがとうございます。
レスを書いていたら長文になりましたので、こちらのエントリで私の考えたことなどを書かせていただきます。

# guldeen 『どうも。ラストサムライは、劇場で3回も見た人です。
忍者に関してですが、あれは日本人キャストが総出で止めようとしたらしいのですが、監督はどうしてもといって聞かなかったシーンだそうです。ちなみに外国諸国では、映画館ではあのあたりのシーンが一番ウケが良かったそうで、日本人としては思いきり複雑な気がします。
あと、日本の幕末〜明治初期の数年間の移り変わりを2時間半で見せようと考えるなら、歴史史実に基づくスタイルでの描写はどう転んでも不可能な話ですし、そもそもアメリカ人が兵法指導のため日本に来た事実が無いのですから、ある意味そこからしてムリはあります。そんなこんなを含めた上で、それでもこの映画は江戸・明治の日本人イメージを、今までのどのハリウッド映画よりもしっかりと、しかも情熱的に描くことに成功している作品ではないかと私は思いますが、どうでしょう?』

まずは、件の忍者のシーンから。
なるほど。監督の判断はまぁ、やむ終えないのかなと思います。
ハリウッド製エンタテインメント映画としての「ラスト・サムライ」は決して悪いできではない、むしろ非常によくできた作品だと思います。そう言う意味では、忍者のシーンも有効に機能していると思いますし。
この作品が『外国人に日本のサムライというファンタジーを見せる映画』ならば、成功作だと思います。しかし、『世界に日本の精神を紹介する(紹介しうる)映画』と考えるならばあまり成功したと思えません。これまでのハリウッド映画に描かれた「不可思議な東洋の人々」あるいは「エコノミックアニマル」というイメージに、「サムライニッポン」というイメージを上書きしたにすぎないと思います。


史実云々と書いた点についてですが、これはこの作品が中途半端に時代考証を行っている点について、私個人としては楽しめなかったというだけのことです。より正確には、無邪気に映画として楽しむには時代考証が邪魔をするし、かといってこれをして「史実ベースの創作」というには少しばかり口幅ったく感じます。
この辺は、あくまで私個人の感想なので。


最後に、映画としての評価とは少し話が離れますが。
この作品を見て日本人が「武士道」「侍」を感じて喜ぶのは、自家中毒的な歪みを感じます。江戸期以来日本人の精神を代表してきたと思われている「武士道」は、確かに美しい面、学ぶべき面もありますが、同時に日本人の「悪しき精神主義」を称揚してきた側面も否めません。
今この時代に「武士道」を語ることがただのノスタルジーであるならば構わないと思います。また、学ぶべき美学の一つとして顧みるスタンスを否定するものではありません。ですが、アイデンティティーを無くした現代日本人が立ち返り、依って立つ精神論として「武士道」を高々と掲げるのは、いささか面映ゆいというか、不健全な気がするのです。
パブリックイメージとしての「ジャパニーズサムライ」は我々にとって決して不利なものではないし、それを利用することも構わないと思うのですが、それに酔ってしまってはただの勘違いに堕してしまうと感じます。


以上、あんまり上手くまとまりませんでしたが、思いついたことを書きました。