新聞の賞味期限はいつ切れたか

ローカルな話題で申し訳ありませんが、我が家の購読新聞は信濃毎日新聞wikipedia解説)です。『長野県内の購読率は約60%。創刊以来、長野県民の知識の涵養に資するに不可欠の役割を担っており、優良紙としての評判が高いために長野県外の購読者も多い。』と解説があるように、「自称・教育県」である長野県のリーディングペーパーです。『紙面および社説は概ね左派リベラル』なもので、プチネットウヨク気味の私としてはなかなか愉快な記事が多くヒジョーに参考になるし、母や妹のチラシ収集にも貢献している優秀な新聞です。(以上、『 』内はwikipediaからの引用)
さて、この信濃毎日新聞(以下、「信毎」と省略)には、ときどき見逃せない記事が載ります。『考』と題した、主筆・中馬清福氏のコラムです。見逃せないというか、1面にでかでかと掲載されるもので、イヤでも目に入るのだけれど。
以前も信毎のこのコラムを読んで、「プw」とか「ヲイヲイw」とか「またまたご冗談をw」と楽しませていただいていたのですが、本日(2005/10/23)の記事はなかなか余人には真似できない文芸ぶりでありました。さすが、「天下の朝日新聞」のエリートコースをひた走ってきた方は仰ることが違います。
「新聞の賞味期限は近いか」と題されたこのコラム記事については、スバらしい内容ですので機会を見つけて是非ご覧になることをお勧めします。ともあれ、言及するためにひとまずごく簡単に内容をまとめると、

新聞が過熱報道をしすぎたせいで読者にそっぽを向かれ始めているが、それは新聞及び読者の双方にとって不幸なことだ。人権擁護の名の下に政府が新聞を取り締まれるようなことになってはならない。責任の一端は確かに新聞側にあるが、読者側も新聞を叩いても何一ついいことはないので、表現の自由を制限する勢力に与してはならない。

といった感じでしょうか。
部分部分、「中央紙にいた私に、最近の不祥事を他人事のように語る資格はない。」「新聞を含めメディアが人権やプライバシーに敏感だったとは言えない。」(以上引用)など、反省の言葉もありますが、全体的に『新聞を含めたメディアの【報道の自由】は神聖にして犯すべからず』との特権意識がにじみ出て感じられます。
「新聞が生き残れるとすれば、それは「読者との共生」に成功したときである。どちらも相手を必要とする関係。」(以上引用)として締めておられますが、今、取材ソースも報道姿勢の正当性も明確に出来なくなりつつある新聞を、本当に必要とする日本人が何人いるでしょうか。惰性であったり、ポーズであったり、あるいはチラシのためであったり。新聞を購読している家庭の多くは、既に多くの代替メディアにアクセスすることが出来、必ずしも新聞というメディアを必要とはしなくなっています。読者の信頼を踏みにじり、自らの歪んだ主義主張をひたすら垂れ流してきた新聞というメディアの賞味期限は、とっくの昔に切れてはいませんですかね。
とりあえず、このコラムを含めて本日の信毎は実にクオリティペーパー*1でした。

*1:ちょwwwwwクオリティタカスwwwwwwwwww ってことね。