小説のストラテジー

つい先日、佐藤亜紀の「小説のストラテジー」を読んだ。

小説のストラテジー

小説のストラテジー

これまで佐藤亜紀の作品は3冊ほど読んだが、個人的にはどれもこれも好きになれなかった。衒学趣味と自己顕示欲と自己撞着が渾然となり、表現的にも優れた、本来なら私の趣味ど真ん中の作品ばかりなのだけれど、どこか一カ所ボタンを掛け違えているようなズレを感じてしまって楽しめない。おそらく、物書きとしての嫉妬や趣味嗜好の被り具合が、不遜にも近親憎悪を感じさせるのではないかと思う。
さて、佐藤亜紀氏の作品の個人的評価はかくも低い。
だがしかし、この「小説のストラテジー」は娯楽消費物としての小説作品ではなく、佐藤氏が大学での講義に使用したテクストを加筆修正した「論説」であり、それが故に趣味嗜好を外して読むことができる。
そして、「論説」として読ませていただいた限りにおいて、非常に感銘を受けた。
本書で扱われているテーマは「小説とは何か」という非常に根源的なものである。
具体的な内容については、正直なところ全て読んでいただく以外にないし、それだけの時間をかけるに値する本だと思うので割愛する。
個人的に目から鱗だったのは、小説を構成する要素についての論旨。
舞台背景、キャラクター、ストーリー、プロット、これらの要素は作品構成上非常に重要な要素だが、逆に言えば小説全体からみればあくまで一要素にすぎない。では、それらの要素をまとめ上げて小説たらしめているものが何か。それは叙述である。
我々は、とかくストーリーやプロットで作品を評価しがちであるし、舞台背景やキャラクター造形でジャンルを区切りがちだ。だが、それは商業的には意味のある行為であったとしても、小説本来の価値とは必ずしもイコールではない。
小説の価値は、読者の心情をいかに揺り動かすか、いかに感情を励起させるか、ただその点にこそある。そして、そのトリガを引くのは、諸要素を下敷きに紡ぎ出される「叙述そのもの」である。
もちろん、アイディア一発勝負やキャラクター性優先の小説があり、それらに対して十分な需要(≒市場価値)があることは確かだが、それとても必要最低限の叙述能力、文章力に支えられている。


で、結局何がびっくりしたかというと。
そんなごく当たり前のことを忘れて、舞台設定やキャラクターばかりに気をとられていた自分のアホさ加減にびっくりしたわけです。
もっとちゃんと「小説を書くこと」の意味と向き合わなくてはいけないと思った次第。