隆慶一郎を(繰り返し)読む

最近、突然隆慶一郎フェアを開催(極個人的に)。
昨年末は司馬遼太郎未読作品フェアだったし、その前は新撰組フェアだった。
もともと、歴史小説だの時代小説は、好物の類である。
年末に「十一番目の志士」→(司馬遼太郎つながり)→「功名が辻」「馬上少年過ぐ」→(戦国つながり)→「影武者徳川家康」と来て、隆慶一郎再読フェアスタート。
今更知らない人も居ないだろうが、隆慶一郎は、「影武者徳川家康」で有名な小説家である。「花の慶次」の原作(「一夢庵風流記」)者としての方が知られているかもしれない。
60代までテレビドラマの脚本家として活動し、突然小説家に転身するや、身罷るまでの数年でいくつもの作品を連載・発表した。
作風は、歴史小説的な一次・二次資料に基づいた緻密な構成と、豪傑・忍者が入り乱れる波瀾万丈の活劇の両方に立脚した、独特のスタイルである。反権力・自由を標榜した中世の人々を描くことが多く、ユートピア小説的な趣もある。
山岡荘八山田風太郎を足して2で割らないというか、歴史小説とエッセイに進まずにそのまま突き進んだ初期の司馬遼太郎、というか。
数年ぶりに全作品を引っ張り出して一気に読んだ。
読んでみて感じること。
「俺、オッサンでよかった。」
最近、時々感じることだが、本や映画(時に音楽も)に触れて、昔感じなかった感動と共感を覚えることがある。番頭師匠曰く、
「オッサンにならないと判らない感動」
なのだという。私もそう思う。
何に感動するのか、説明するのは簡単だが、それを理解できるのは、やっぱりいい年こいたオッサンでなければならないのだと思う。
ま、なんだ。オッサンなら隆慶一郎は読んどけ。女子供はシラネ。