プロローグ

そこは、寒々とした鉛色の空と風に波立つ同じ色の海、そのただ中であった。
北太平洋というよりベーリング海に近いその海域には、荒れ気味の水面を東へ急ぐ、数多くの艦船の姿があった。
彼女は、艦橋の窓から右舷を見回し、自分の姉妹艦を見つけた。多目的揚陸艦「しきしま」。基準排水量112,000t、最高速力37.5kt、60機を越える艦載機と20両以上の主力戦車・装甲戦闘車を満載する、現代最大の軍艦。それは、同型艦たる彼女自身の姿でもある。
多目的揚陸艦、すなわち日本国が保有するハイブリッド空母であるところの、彼女・「はつせ」は、「しきしま」を旗艦として18隻からなる艦隊に参加して、アメリカ大陸を目指していた。
110,000t級多目的揚陸艦「しきしま」「はつせ」、70,000t級航空揚陸艦V/STOL空母)「ふじ」「やしま」、12,000t級巡洋艦「ふそう」級4隻、ほか駆逐艦8隻、大型輸送艦2隻で構成されたこの艦隊の目的地は、北アメリカ大陸西岸の都市・シアトル。内乱によってアメリカ合衆国はいくつかの地方政権に分立し、その一政権であるシアトル政府の要請を受け、現地の法人保護の名目の元、日本国政府国防軍を派遣したのだ。
2039年に財政難を理由に共和党政権が一連の社会福祉切り捨て政策を強行すると、既に国民の5割を超えるスペイン語系移民をはじめとした低所得層の強い反発を受けた。大統領は各地のデモを州兵を動員して鎮圧したほか、移民や外国籍の者が海外に送金することを禁止、また、就労ビザだけでなく修学ビザを含めた合衆国国内への入国を厳しく制限した。
イスラム対外政策を強硬に推し進め、前世紀からアフガニスタンイラク、イラン、シリアなどに派兵を繰り返したアメリカ合衆国は、その財政負担を同盟諸国に頼らざるおえなかった。しかし、アメリカの対イスラム強硬政策の失敗を見て取った拡大EU諸国は財政負担を次第に減らし、その兵力も、長引くチェチェン戦争からいつ戦火が飛び火するか判らないロシアとバルカン半島中央アジア諸国に備えて東へ向けられていた。また、日本は度重なる支出・派兵要求に答え続けたが、代償として軍事技術の提供を要求し、軍事大国への道を歩み始めていた。背景には、南北朝鮮併合に伴って周辺諸国流入した武器と移民、シベリア共和国独立に伴うロシア・中国間の緊張など、東アジアでも高まりつつある軍事的に不穏な情勢に備えるためであった。
アメリカ合衆国政府が財政破綻から立ち直れずに、内外に置いて失政を繰り返すようになると、国内にも不満と対立の芽が広がっていった。富裕層と貧困層との経済的な乖離はもはや修正不可能なまでに広がり、大規模企業は政情が比較的安定したEU・日本・中国に流出し、年を追う毎に増え続ける失業者と不法移民は、次第に各地で民兵化していった。2039年アメリカ合衆国は、世界に冠たる一台帝国の面影も薄れ、もはや痛みにのたうち回る一頭の巨獣にすぎなかった。
州兵の動員は、むしろ連邦制の崩壊を早めただけだった。
中西部の農業地帯の各州は連帯して州境の警備を行うようになり、次第に独自の連合州政府を持つようになった。同じ動きは各地に広がった。西海岸は北部のシアトルを中心にまとまり、いち早く日本・中国政府と連携を持った。テキサスは一州で独立を宣言し、南部の諸州は南部連合を結成。合衆国連邦政府の元に止まったのは東部の16州だけであった。
北米大陸西岸への派兵は、日本と民主中国の初めての共同作戦となった。中国は、旧世紀末からの経済的繁栄を元に、2030年代にはアジアの盟主といっていい地位に上り詰めていた。2020年代以降のアメリカ合衆国の軍事的経済的後退を受けて、アジア各国は中国との緩やかな共同歩調を取った。日本はいち早く日中安全保障条約を結んで中国の覇権を認め、アジア太平洋の軍事的安定に期待した。
ほぼ百年に渡るアメリカの覇権は破れ、世界は新たな混迷の時代を迎えようとしていた。今、北太平洋を進む艦隊は、まるで荒波に乗りだしていく日本自身を象徴しているようだった。
それは奇しくも2041年12月8日、真珠湾攻撃から100年後の事であった。

艦橋から窓越しに海原を眺めるはつせの横に、ふと艦長が立った。内海英二国防海軍少将。日本国防海軍の最新鋭艦「はつせ」の艦長であり、「はつせ」以下「いせ」「ひゅうが」「みょうぎ」「つくば」からなる第二戦隊の指揮官でもある。年齢54歳。穏和な風貌はどこか名門校の校長を思わせるものの、その実30年を超える実働部隊勤務を経た叩き上げの海将である。
「はつせは、北太平洋は初めてだったな。」
「はい、内海艦長。習熟航海でオーストラリアや南太平洋には行きましたが、北米には行きませんでしたので。」
「まぁ、心配することはない。少々時化るが、注意を怠らなければ危険はない。」
「はい。気象情報は常時監視しています。それに、私はAIですので残念ですが「心配」したくてもできません。」
「そうだったな。つい、娘と話しているような気になってしまうんだよ。」
内海は自嘲気味の笑いをはつせに向けた。
はつせの外見は、20代半ばの女性士官にしか見えない。時折見せる仕草によっては、もっと幼く見えることもあるが、彼女はこの艦の頭脳体AIの一部であり、この艦に勤務する擬体の統括者でもある。擬体、すなわちアンドロイドと人と見分ける指標は、顔に描かれた識別模様しかない。それ以外は、普通の人間と何ら変わりなく見える。だが、彼女は自らこの艦を操艦し、機関を制御し、艦載機の発進準備まで行える。彼女自身が艦そのものだと言ってもいいのだ。
艦のAI制御自体は、最新ではあるが目新しい技術ではない。日本国防海軍では既に10年近い運用実績を持っている。しかし、対人インタフェースとして、あるいは作業の省力化のために人型ロボット・アンドロイドを導入したのは、ロボット技術の最先進国である日本ならではのもので、実戦部隊へ導入されてまだ1年少々しか経っていない。内海が「はつせ」艦長に異動になる以前に乗艦していた航空巡洋艦「あかぎ」は、まだ擬体導入に向けた改装が検討されている段階だった。
「しかし、艦制本部も粋なものだね。男所帯の艦橋に、一輪花を添えたようじゃないか。」
「もう、艦長。からかわれては嫌です。」
にやりとしながら言う内海に、はつせは戸惑うように返事を返す。艦橋の当直士官が、いつもの聞き慣れたやりとりに、和やかな笑い声を上げた。擬体導入当初は戸惑いや反発もあったが、少なくとも「はつせ」のクルーは、この構い甲斐のあるAIを自分たちの仲間として認めつつあるようだ。

はつせが、気象衛星「ひまわり64」からの異常なデータを艦橋に知らせたのは、12月8日未明のことだった。
「航海長、前方海上で急速に低気圧が発達している模様です。」
「気象担当官にデータを回してくれ。航行に支障が出そうか?」
「わかりません。ただ、衛星からのデータが正常であれば、これまで観測されたことのない異常気象です。」
そのとき、航海長のインカムに気象担当官からのコールが入った。
「艦長、気象担当官によると、異常な低気圧が前方10km付近に急速に発達しているとのことです。本艦の計器も急激な気圧の変化を観測しているそうです。」
「わかった。急いで他の計器も確認し、現象の影響を予測ように言ってくれ。副長、戦隊各艦と艦隊旗艦に現状を連絡しろ。この距離だと、前衛の「ひゅうが」と本艦が一番影響を受けるだろう。総員待機、荒天時対処の準備を・・・」
矢継ぎ早に指示を出す艦長の声が止まる。視線の先には、不気味なほどの速度で密度を高めつつある黒雲が見えていた。
「・・・なんだあれは!」
艦橋の誰かが叫んだ。
そこに見えている光景は、見ている者の言葉を奪うに十分なものだった。まるで早送り映像のように目に見えて集まってゆく黒雲と、その渦の中心で怪しげに明滅する紫色の光。黒雲のあちこちで放電の稲光が幾条も走り、にわかに明るさを失いつつある周囲に輝きを放つ。それは、異常気象というよりも怪現象というのがふさわしかった。
「強い磁気場が形成されているようです。微重力偏差計測装置にも傾斜が認められます。」
はつせの声に、反応したのはやはり艦長だった。
「面舵一杯、退避行動を取れ。「ひゅうが」にも退避するよう伝えるん・・・」
その言葉が終わらないうちに、突然の振動が艦を襲った。凄まじい縦揺れがいきなり始まり、艦橋当直員のマグカップクリップボードが散乱した。窓の外に目を向けると、周囲が急激に暗くなっている。
「総員対ショック体勢・・・・・」
内海艦長の、食いしばるような指示の声を最後に、はつせの全ての感覚機器がブラックアウトした。