色々考えてみた

9月29日のエントリに、自分の過去エントリを見返していて凹んだ話を書いたところ、色々コメントを頂戴しました。また、リアルの友人と昨日色々話したこともあって、自分なりに考えてみたことがあるのでまとめてみたいと思います。
とは言え、長い上に駄文の愚痴なのでお暇な人だけお読み下さい。

文章を書く意味

まず、自分にとって文章を書くと言うことがどういう行為なのか考えてみました。
私という人間を外から見たとき、おそらく観察者の目に映る姿はごく平凡な中年に入りつつある男性という結像だと思います。職場での私は、サーバとネットワーク全般にそこそこ知識はあるが仕事に熱心と言うほどでもない技術者、表面上の人間関係は持てる程度の社交性はあるがあまりプライベートを見せない男、といった感じでしょうか。プライベートでの私は、色々な分野に浅く広く興味を持つが根気が無いエセオタクに見えるでしょう。
そう見られる事自体を否定するつもりはないし、多分本質にかなり近い評価なのでしょうが、外に見える自分だけが全てではない、私の内面には別の物も存在して、それをどこかに表現したいという欲求も存在します。
職場で認識される私、プライベートで認識される私、そしてそれに飽き足らない私。私の中に前者二つのペルソナでは他者に認識されることのない第三の私がいて、それが私を文章を書くという行為に駆り立てるのでしょう。
もちろん、私が書く文章に表れているのは、やはり私が見せたいと願うイメージに基づいた書き手としてのペルソナでしかないし、私の精神というプリズムに当てられた光が描くアスペクトの一つに過ぎないのですけれど。また、何もかも洗いざらいさらけ出したいわけでもないし、醜悪すぎて表に出すにはふさわしくない部分も存在します。そのようなことをつらつらと考えるに、畢竟チラシの裏に書くだけでは満足しない私がいるわけです。私にとって、文章を書くこととそれを他者に見られることは不可分であって、必要な行為だと言うことになります。
逆に言うと、書いた文章が高い評価を得るかどうかは副次的な目標であり、余得でしかないのかも知れません。全く反応がなければ寂しいですし、モチベーションを維持したり新たな刺激を受けるきっかけが減ってしまうことになりますが、文章を書いてそれを見る他者が存在する事だけで、私は一定の満足を得られるようです。

カジュアル・ライティング

そんな私にとって、blogというのは現時点で満足できるツールです。(はてなダイアリーがblogかどうかは疑義の生じるところではありますが、ひとまず以下blogとしておきます。)
htmlを直接手書きしたりhtmlエディタで生成する、いわゆるホームページ(Webサイトでも何でも構いませんが)は更新に手間が掛かるし、サイトの体裁を整えるにも労力が掛かります。また、ある程度の読者を呼び込む努力=営業活動が必要ですし、読み手からのレスポンスを得るためにはBBSやメールフォームを置く手間もあります。
一昔前はごく当たり前の労力でしかなかったこれらの作業も、blogツールを使えば完璧ではない物のそこそこ満足すべきレベルで機能を提供し、諸々の手間を減らしてくれます。
blogはお手軽すぎて文章自体の内容や質が低下するという話もあり、また、検索エンジンに引っかかりやすくなることでWebでの情報入手の妨げになっているという話もあります。そういう側面があることは否定できませんが、よりカジュアルな表現手段を提供していることは決して悪いことではないと思います。
ただ、blogツールの提供するカジュアルさに溺れていないか、書いた文章が御座なりになりすぎていないかは時々省みる必要があると思います。例え手軽だとは言え、向上する努力はやめちゃいけないな、と。、

読まれること

私が書き手でなく読み手に回ったとき、どういったblogを読みたいかは、ある程度基準があります。

  • 特定カテゴリの情報をキャッチアップしているblog
  • 視点や論点の面白いblog
  • 更新頻度の高いblog
  • 面白い文章/独特な文章で書かれているblog

もちろん例外はありますけど。
では、私のblog「三つ編み外様大名」がどれに当てはまるか。
……敢えて言うなら更新頻度くらいでしょうか。でも、ムラっ気ありすぎですが。
読みたい物と書きたい物は別物、とでも言えば聞こえは良いのですが、完全に一致しなくても基本的には「書きたい物≒読みたい物」なので、改善するべきなのでしょう。取り立てて高評価が欲しいわけではありませんが、自己満足するためには理想に近づけていくべきでしょうし。
とは言え。「書ける物≒読みたい物」ではないのが現実ですが。
また、読み手のニーズについては基本的に考慮していません。マーケティングして求められている文章を提供できるならそれに越したことはありませんが。その辺の視点が足りないが故に、読みたい物に近づけないのかも知れません。
読み手のニーズを読みとるツールとしては解析ツールがありますが、まだまだ「書く」「読む」「コメント/トラックバックする」に較べて容易とは言えないでしょう。マーケティングツールがあると楽になる気もしますが、他者に求められる物を書くのはプロのお仕事であって、私には合致しない気もします。

書き続けること

結論として。
色々と「三つ編み外様大名」の現状には忸怩たる思いもありますが、まずは書き続けることが最低ラインの課題のような気がします。書き続けるだけの理由はあるのですから。