「最後の授業」のはなし に追記

一応、ツッコミが入る前に出来るだけ弁明。
まず、反日教組的な物言いになっている部分についてはご容赦を。
私は、中学までの教育で受けた、認識に対する左翼的バイアスを払拭するのにひどく苦労したので、未だに(当時の)日教組には良い感情を抱いていません。反動のおかげで、今では若干右翼的な思想を持っているかもしれません。まぁ、日本にも今みたいな屈折した反省主義と狂騒的な右翼思想じゃなくて、健全で現実的なナショナリズムはあってもいいかな、ぐらいのことですが。街宣車はただただ五月蠅いと思うし、デメリットしかないのに靖国参拝を欠かさない首相は馬鹿だと思います。(これってそこそこ普通ですよね???)

あと、台湾や朝鮮で行われた日本語教育については、こんな風に考えています。
・当時の列強による植民地支配政策として見ればごく普通の政策
天皇崇拝や神道の強制は行きすぎの面が多々あるが、植民地に対する同化教育としてはやむを得ない部分もある
・現地語(朝鮮語など)の使用禁止は非道いし、むしろ失政だと思う
・義務教育として初等教育を内地と同様(あるいはそうあるように努力した)に実施した点は評価
まぁ、植民地支配のための施策としては、プラス面マイナス面両方があると思います。
(個人的には、のちに実質的な支配地域になった満州でまともな教育をやってないことの方が問題があると思う。)

ただし、「植民地として支配することの是非」についてはまた別の話で、当時の国際情勢から見てやむを得なかった点があるにしろ、決して褒められたことではないと思います。

朝鮮に関してだけ言うのも何ですが、併合に至る過程があまりに強圧的で暴力的すぎますな。それだけロシアの南下に対する恐怖感があったといえばそれまででしょうが。一連の事件を追っていくと、全般的に打つ手打つ手が失策だらけ。特に閔妃殺害だけはどうにも弁護しようがないですな。他国の要人暗殺ってだけで道義にもとるうえ、借りに手段自体が正当化されるとしても手際が悪すぎる。文字通り暗殺されるか、あるいは軟禁とかであれば、その後の抗日運動もここまで酷くなかったであろうに。私が当時の朝鮮人だったら、やっぱり黙っちゃ居なかったと思いますし。

更に脱線すると、朝鮮が日本の植民地ではなくロシア、あるいはアメリカ(日清戦争後、朝鮮に権益を持ち始めていた)の植民地になっていたらという想像は、あんまりする人がいないようですね。(私が知らないだけか)
まぁ、アメリカはフィリピン+中国で手一杯だったからこそ、桂=タフト協約(アメリカによる日本の朝鮮支配容認)なんて物を結んでいるわけで、ロシアと向こうを張って朝鮮支配に乗り出すシナリオは、かなり気配薄でしょうか。
一方、ロシアが満州と朝鮮の支配権を確固とした物にしていた場合、バルト海から南シナ海まで農奴帝国が出来上がっていたかと思うと、当時の日本人でなくともゾッとする物があります。

とと。だからといって、「日本の植民地で良かったですねぇ」なんて事を言うつもりはありません。石原都知事じゃないんですから。
ただ、当時の情勢からして、日本を含む列強いずれかに属し、植民地または保護国となる以外に道がなかった朝鮮/大韓帝国の不幸は察してあまりある物があります。それは、僅か50年前、幕末〜維新期の日本の姿そのままですから。そして、その日本が朝鮮と最初に結んだ日朝修好条規が、日本が列強相手に長年苦しむ事になる不平等条約だったのもまた、皮肉で不幸な歴史だと感じざるを得ません。