イラクの現状に思う「君主としてのブッシュ」

アメリカ合衆国軍と同盟軍によるイラクの占領統治開始から一年が経過し、いまやその占領統治は崩壊の瀬戸際にあるように見える。その間、積み重ねられてきた失策や過誤については何度も俎上に載せられて検証されてきた。
そのなかで、何度か思ったことだけれど、アメリカの犯した最大の失策は、バース党や政府官僚の公職追放ではないかと思う。


イラクの占領統治政策を語る上で良く引き合いに出されるのが、日本とドイツの戦後占領統治であるが、イラクのそれと日独のそれには2点の明確な違いがある。
日本にせよドイツにせよ、戦争の災禍はそれまでの史上に類を見ないほどに両国の産業基盤に大きな爪痕を残した。それは、所謂「総力戦」という言葉に集約されるが、その最たるものは東京大空襲ドレスデン空襲に代表される、敵国の工業基盤である設備と一般市民への無差別攻撃、ドゥーエの予言した「戦略爆撃」にある。
イラクでもこれに近い「空爆」は行われたが、それは第二次世界大戦のそれとは明確な違いがある。軍事力とその基盤である軍事生産施設のみをターゲットとして行われた「空爆」は、相手国の産業基盤を根こそぎ奪うことなく継戦能力だけを奪うことができる。(誤爆などによる被害は当然生まれたが)
それを支えた技術の進歩があるにせよ、相手国の継戦意欲を完全に奪うまで行われる「戦略爆撃」とは意図するところも結果も自ずから異なる。(その手法の優劣についてはここでは論ずるつもりはない)
ともあれ、「戦う能力も気力も根こそぎ奪われ占領された」者と「戦う能力だけを奪われ占領された」者との差は決して小さくないだろう。
また、戦後の占領統治と復興政策の担い手が誰であるか、と言う点も異なる。
日独の占領政策は既存の政府が降伏する形で始まり、戦争責任の追及などによって多くの人間がパージの対象となったが、それでも連合国軍司令部の指導のもと政策の実施を行ったのは従来の政府や官僚であった。その是非についてはいろいろ評価もあろうが、少なくとも統治の空白=無政府状態を生み出すことはなかった。
一方、イラクにおける統治の始まりは政権の崩壊と降伏無き占領に始まり、旧バース党員は末端に至るまで席を追われ、統一政府は崩壊して部族単位個別の政治が行われている。
イラクにおける現在の無政府無治安状態と日独の戦後統治を較べると、これは大きな差に見える。


もちろん、だから日独の戦後政策が優れ、イラクのそれが拙劣だと断じるのは、結果だけ見た後知恵に過ぎない。
しかし結果としてイラクの元政府官僚、元警官や元軍人といった人々は、その戦意は奪われずにその生活の術を奪われてしまったことになる。


マキャベリ君主論にこういう下りがある。

「君主は愛されなくとも、恨みを買わないようにして、なおかつ恐れられなければならない。恐れられる君主であることと恨みを買わない君主であることは両立し得る。これは、君主が領民の財産やその妻女に手を出さなければなしえることだ。また、どうしても人を殺さねばならない場合、明確な名分としかるべき手続きのもとで為さねばならない。そのときも、他人の財布に手を付けてはならない。人は父親を殺されてもいつか忘れてしまうものだが、奪われた自分の金は決して忘れない生き物なのだ。」

(うろおぼえなので枝葉末節はちょっと自身ありませんが。岩波文庫版が見つからなくてねぇ(;・∀・))
自衛隊の派遣されたサマワの失業問題なども報道される機会が多いけれども、古来、飯を食わせてくれない君主ほど人気のないものはない。生活が立ちゆかない絶望は人を自暴自棄にさせ、目の前の敵に怒りを吐き出す道に駆り立てるだろう。


ブッシュという「君主」の失策は、戦争を引き起こしたことだけではなく、その後の占領政策の失敗についても問われるべきものだと思う。