憲法記念日なので

ここ最近、改憲論議が喧しいわけですが、数日前の朝日新聞改憲論議についての記事は、読んでいてちょっと首をかしげた。
曰く、「憲法は国民の権利を守りすぎで国をないがしろにしすぎだ。」
曰く、「憲法が個人の権利を大事にしすぎるから、『個』ばかりが大事にされて学級崩壊や家庭崩壊が進むのだ。」
云々。有識者や政治家の言葉としてである。
もちろん、朝日の新聞記事だから、我田引水の行き着く先は護憲論であり、そのため端的な言葉が引き抜かれているのだと思うが、それにしても有識者や国会議員の言葉とも思えないお言葉である。


こう言うときにそもそも論や歴史を持ち出すのは余計論旨がずれそうで嫌なのだが、敢えて書いておきたい。
憲法とは、極言してしまうと国民/市民が無制限に拡大する傾向にある国権を制限するためにある。


近代の民主憲法が成立するまでの歴史は、市民層と国権(権力者)との、(主に課税を巡る)綱引きの歴史だと言っていい。


その起源は1215年イギリスののマグナ=カルタに遡る。
この場合、市民とは経済的に豊かになった封建領主=貴族であり、その綱引き相手は国王である。失地王ジョンが大陸の英国領ノルマンディーの奪還などのために重税を課そうとして、貴族達の反発を招き、「王権も法の下にある」として貴族と国王の封建的主従契約関係を確認させられたものである。
その後、マグナ=カルタはヘンリー3世(とローマ教皇)との綱引きの結果修正されて承認され、、エドワード1世の治世下では近代の法律制定機関としての議会の萌芽と言われる「模範議会」も生まれている。


近代民主主義の起点と言えば1789年のフランス革命になるが、こちらも、ブルボン朝王権と富裕市民層=ブルジョワジーの間で行われた綱引きだと言える。その焦点も課税問題で、背景には絶対王権の斜陽と重商主義による商工業者の有資産市民化がある。
フランス革命は、立憲君主制への移行、国王処刑と共和制の成立、対外戦争によるナポレオンの皇帝即位と事態が遷移していく。ここで重要なのは、所謂近代国家における「国民」と言う概念が生まれたことであり、その具体的なものは参政権と兵役である。ここで言う兵役は、それまでの王や貴族に徴兵され従軍させられる兵役とは意味が異なり、それまで主体的に戦うことの出来なかった人々が、自らの権利を守る=外国の侵略を防ぐために戦うという意義と機会を与えられた、言ってみれば「参軍権」を得たと言うことも出来る。
これらの「市民権」と、それと相対する「国権」を規定したのが憲法だと言える。
(社会契約論的に言えば「市民」と「国家」の契約が憲法ということになる。)


マグナ=カルタとフランス革命を下敷きにしているのが、アメリカ合衆国憲法である。
アメリカ合衆国における憲法は、身分社会であるイギリスの慣習に基づいた非成文法や、”フランス国民”による共和国の憲法と較べ、国の存在にとってよりクリティカルな存在だと言える。
アメリカ合衆国憲法が成立するきっかけは当然独立戦争ということになるが、これもまた、イギリス本国による重い課税が発端となったものだ。
独立以降、他国植民地やメキシコ領の併合、南北戦争、さらには移民問題など、アメリカ合衆国の歴史、即ち異なる言語文化民族の人々の対立の歴史である。そのなかで国家を為す基盤を、既存の社会とその習慣にも国民国家という概念にも依存できない以上、より社会契約論的な「市民」と「国家」に頼らざるを得ないだろう。
言わば、憲法こそがアメリカ合衆国という国を存在させている。


一方、これらの憲法と異なるグループにある憲法もある。プロシア(ドイツ)憲法とその直孫たる大日本帝国憲法だ。
これらの憲法は成立経緯からして上の3つと異なる。


プロシア憲法は、ナポレオン戦争におけるプロシアの敗北と国家存亡の危機(帝政フランスにより領土の約半分を失う)と、ナポレオン戦争後のドイツの盟主を巡るオーストリアとの争いを背景に制定されたものである。その主眼は、徴兵制によって国民軍を成立させ、農奴制を廃して商工業興し資本主義国家としての富を養う。つまりは富国強兵政策である。
フランスによる圧迫によって国家体制の強化を迫られたプロシアは、旧来の王政国家から新たな立憲君主制への移行を急速に果たしていく。しかし、王権を市民が押さえ込んで成立したわけではなく、王権の譲歩として生まれたためか、君主の権利と市民の権利のバランスを取ったような内容である。また、内容を規定したのも政府側であり、君主が規定した憲法を国民が受け入れ成立する形となっている。(欽定憲法


このプロシア憲法を参考に定められた大日本帝国憲法、所謂明治憲法欽定憲法もであり、天皇の治世において臣民に権利を認めるものであり、主権者はあくまで天皇である。
現在の我々からすれば、主権者が天皇であるという一事だけでも論外にみえるが、当時憲法を制定した側の主眼はむしろ、憲法自体を成立させること(条約改正を視野に入れて)と議会を含めた国家体制の規定にあったわけで、「法の下の平等」とまではいかないが、富国強兵作のための「天皇の下の平等」を意図したものと読みとることも出来る。
いずれにしろ、これらの憲法は主権者としての君主を明確に法として規定し、同時に国民に参政権など一定の権利を与えるものであった。
プロシアの場合第一帝政フランスとオーストリア、日本の場合欧州列強各国、特にロシアの圧迫という一種の緊急事態に備えて早急に国を富ませ防備を固める必要性があったと言う共通点から、これらの憲法が持つ性格が、主に内政についての不満から生まれた上記3つの憲法と異なることが分かる。


さて、長々と書いた上、うまくまとまらなかったのでアレだけれど。
ここで主張したいのは、我々の憲法はどのようにあるべきかと言う点。
憲法とは何かということを考えれば、そこに定められるものは、国民が為すべきことと国家が為すべきこと、国民がなし得ることと国家がなし得ることのすべてであり、そしてただそれだけであるべきである。
どの権利をどう行使するか、国家とどう付き合うか、家族とどう付き合うべきか。国民の義務の外にある精神の自由の中身は、憲法に記載されるべきことではない。
現実に即して憲法を改定するのはいいが、国と国民の根幹である憲法をいじりすぎて国家そのものをおかしくしてしまわないか、最近の改憲論を見ているとそんな不安に襲われる。

社会契約の内容は厳密に規定されねばならない。

ジャン=ジャック・ルソー


憲法第九条と自衛隊法についても書こうと思いましたが、既に長文すぎるので次の機会に(;・∀・)