文章力は思考力

ある人の文章を読めば、その人の頭脳でどのような思考が行われているか(あるいは行われていないか)はある程度想像することが出来る。
概して、非論理的で感情的な文章を書く人物は論理的思考が欠如していて自制心に欠けるし、冗長でメリハリのない文章を書く人物は、止めどもなく長考し決断力に乏しい。明快な論理に貫かれた文章を書く人物はしっかりとした理屈を構築する明晰さと確固とした価値基準を持っているし、起承転結あるいは序破急のようなきちんとした構成を持つ文章の書き手は、構造的な概念を理解する観念的な思考力と事物を分析する観察眼に富んでいる。
もちろん、論理の構築がうまい、あるいは明快な文章を記述できることが、即人間的な魅力や倫理観、あるいは文芸としてのおもしろさに繋がるわけでもないが、少なくとも、何かを論じるときに適切なレトリックを引き出し理路整然と論点をあげることが出来れば有利である。
さて、以上自明の理を鑑みて己の文章を見直してみる。
……絶望的。
まず、論理構築がなっていない。
次に、全体的に冗長。しかも長い割に内容が薄い。
そして、論点の腰が据わらない。
最後に、文章全体の構成力がない。
結果として、何が言いたいんだかよくわからない。
単純に言ってしまえば、この手の雑文(エッセイと言えば聞こえがいいか)に必要な要素のうち、

  • 客:どういう相手に読ませるのか
  • 主張:結論として何を言いたいのか
  • 視点:どのようなスタンスで文章を書いているのか
  • 構成力:記述する内容を整理できているか
  • 推敲:書き上がった文書をきちんと見直し、手直ししているか

と言う点がまるでなっていないのである。そして、その原因は思考能力の低さにある。ごく単純に言うならば、「普段から大したことを考えていない」の一言に尽きる。
と言うわけで、この駄文の結論。
チラシの裏にでも書いてろ!」>自分

早い話が

何となく自分を叱り飛ばしたくなったのです。