虐殺器官

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

参謀閣下から薦められて読んでみました。
最初、あまりに微妙な作品っぷりに
「読むことは読んだのですが、感想書かなきゃダメですか、これ?」
とだけ書いておこうと思っていたのですが、二度三度反芻してみたところ、いくつか書きたいことが纏まったので書いてみんとす。
端的に感想をまとめると、「凄い作品だけど、面白いかと問われれば微妙としか答えようがない。」となるのですが、それをもう少しブレイクダウンして書いてみます。

最初に但し書き。
この作品は、ネタバレしてしまうと途端に風味が落ちる感じなので、なるべくネタバレしないように書きますが、できれば作品自体を読んでから以下を読まれた方がよろしいかと思います。そんなに大したこと書いてないけど。


まず、この作品の凄いところ。
圧倒的な近未来世界が、ギミックで、社会情勢で、あるいは心理描写として、細密に描きだれること。そこに描き出されるディストピアは、悪趣味なギミックによってカリカチュアライズされているけれど、いまこの時点でも起きている世界の問題を少し拡大して見せているに過ぎない。そこが恐ろしくて凄まじい。一つの世界を俯瞰して眺めるのでなく、一人称視点からボトムアップで描き出すのはとても労力の掛かることだけれど、その点において見事に成功していると思う。
特に、米軍が推し進めているRMAの先にある世界が、常に「金持ちの軍隊が貧乏な軍隊をタコ殴りにする」非対称戦であるところとか、そのRMAが生み出した様々ギミックは、この手のSF作品の中でも飛び抜けて凄いと思わせる。ギミックから受ける衝撃は、「攻殻機動隊」を凌いで「クローム襲撃」並なんじゃないかと思う。


一方、この作品のダメなところ。
一つは、SFであると言うよりは推理小説的な筋立てであるにもかかわらず、核心のギミックであるところの「虐殺器官」の説得力が乏しい。他のギミック(人工筋肉や仮想現実技術"オルタナ"など)は非常に細かいところまで描写されて説得力を持ち合わせているのに、「虐殺器官」の方はと言えば、最後の最後結末が語られてしまっても、妙に周囲から浮き上がったフィクション臭というか胡散臭さというか、そんな微妙なリアリティの無さを感じてしまった。まぁ、その性質上物質的に掘り下げて書くことが不可能な代物なので仕方ないのかもしれないが。
もう一点は、主人公のパーソナリティが、読者の感情移入を誘うキャラクタになっていない点。有り体に言うと、世界がカリカチュアライズされているのと同様に主人公までカリカチュアライズされてしまい、等身大の人間として共感することが難しいのだ。罪悪感やレゾンデートル、あるいは現代人が等しく感じる現実の"現実感の無さ"といったものが主人公の心的世界を満たしているのだけれど、それもまた戯画化された現代人の模式図のようで、俯瞰的に眺めて理解することはできても共感することは難しい。読者は、この小説を「私の物語」としては見ずに最後まで「彼らの物語」としか見なせないのではないか。
この手の終末SFの場合、結末が不条理であればあるほど、主人公への感情移入が求められるように思う。サンマの"わた"と同じで、苦みが無ければわざわざ味わう価値がないからだ。
そう言う意味で、より難易度が高い「一人称視点から世界を描ききる」ことには成功しているのに、より簡単だと思われる「一人称視点から主人公に感情移入させる」ことに失敗しているのはどういう訳なんだろうと思わなくもない。
もっともこの小説の場合、読者の感情移入やその先にあるエンターテイメント性を拒否し、ただ先進国と後進国の絶望的な格差や、無数の踏みつけにされた後進国の人間達が支払うコストによっていわゆる「現代社会」が支えられている事実を、戯画化して描いてみただけだったのかもしれない。そう言う意味ではディストピアSFの成功例なのかもしれない。


結論として、冒頭に上げたようにこの小説は、

  • 凄いか凄くないかと聞かれれば、間違いなく「凄い」
  • 面白いかつまらないかと問われれば、「面白くない」

という微妙な評価をせざるを得ない。SF者なら読んで損はないと思うし、読むだけの価値はあるのだけれど、「何か面白い小説ない?」と聞かれてこれを薦めたら人格を疑われると思う。
単純に、私が小説に求める「読書体験」と、この作品が提供する「読書体験」の方向性が違うだけかもしれないけど。